3月22日の2月議会最終日、本会議で手話言語条例が成立。市民厚生常任委員会提案で、中山も作業部会メンバーの一員としてがんばりました。
ろうあ協会の皆様と記念写真です。
これまでの経緯を思い起こすと感慨深い。
小野清一郎委員長の呼びかけに応え、委員会の有志メンバーで作業部会を設置、条例の策定に向け、当事者の皆さんともいろいろ意見交換しながら勉強を重ね、ようやく成立にこぎつけました。
委員長・副委員長の他、特に作業部会のメンバーの獅子奮迅の文字通り「無私」の貢献に、本当に敬意を表します。みなさんほんとうにがんばりました。
ろうあ者の皆さんが抱えていた切実な課題、そして彼らが「言語」として引き継いできた「日本手話」、さらに日本語に対応する手話としての「日本語対応手話」との共通性や違い。
それが当事者たちによってこだわりや想いが微妙にグラデーションのように異なっているので、それを条例としてうまく成文化するためにどうすればよいか、堂々巡りの検討や矛盾を抱え、一時は暗礁に乗り上げました。そこをなんとか論理的整合性を保って条例として成文化するために、「理屈こき」(^^;の中山は貢献しました。
うれしいことは、この議会発議の条例の成案の過程で、所管課の障害福祉課はじめ、教育委員会含め関係各課が非常に積極的な姿勢を示してくれたことです。新潟市もなかなかがんばってます(^^)。
そして今日の委員長による提案理由説明では、小野清一郎委員長が手話を交えて発言。議会史上、画期的です(ただし、その時の写真は、事務局によると、今の新潟市議会の運用では、対外的には使えないのだそうです、残念)。非常に感動的で、涙が出ました。傍聴席にはろうあ協会の皆様はじめ当事者たちが詰めかけていました。当事者の皆さん、委員会、議会事務局、執行部の皆さんが一緒に創った宝物です(^^)。